仙台高等裁判所 平成7年(行コ)17号 判決 1997年8月29日
控訴人
的場良生
控訴人
玉手良昭
控訴人
高橋正孝
控訴人
斎藤忠彦
控訴人
岸本祐治
控訴人
山下司郎
控訴人
佐藤清之助
控訴人
芳賀則政
控訴人
松田正志
右九名訴訟代理人弁護士
鈴木宏一
同
馬場亨
被控訴人
国
右代表者法務大臣
松浦功
右指定代理人
黒津英明
同
佐藤四郎
同
泉宏哉
同
久埜彰
同
西山大祐
同
佐々木進
同
鈴木邦康
同
伊勢義博
同
川原浩志
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴人らは、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ三〇万円及びこれに対する平成二年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、次に訂正、付加するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第二 当事者の主張」中控訴人ら関係部分記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一〇枚目表六行目(本誌六九二号<以下同じ>41頁1段22行目)の次に、行を改め次のとおり加える。
「氏名は、身分関係の公証制度としての戸籍に記載されている公証力のある名称であり、社会から個人が識別されるために各人が持つことを義務づけられているものである。すなわち、氏名は、専ら公的な事項に属するものであって、一般の人に知られないことを予定された専ら私的な事項であるということはできない。」
2 同一一枚目表三行目(41頁3段1行目)の次に、行を改め「6 行政規則による義務づけの特質について」として次のとおり加える。
「本件「職員胸章要綱」や「職員胸章内規」は、行政機関が行政組織内部の秩序、規律を維持する等の必要から制定した、いわゆる行政規則であって、国民の権利義務を直接規律する法規ではない。
行政規則は、行政機関が行政組織法上の権限に基づいて、当該行政機関が所掌する事務を遂行する必要から制定するものであるから、行政規則として制定することのできる内容については、事柄の性質上、行政機関が専門・技術的見地からの裁量権を有しているのであり、行政機関が所掌する事務の遂行目的を達成するのに必要な範囲を逸脱し、著しく不合理なものでない限り、自由に制定することができるものというべきである。」
3 同一一枚目裏四行目(41頁3段22行目)の「中核をなす」を「中核をなし、経済的自由に比して優越的な地位を認められる」に、六行目(41頁3段26行目)の「規制立法については」を「規制立法が憲法に適合するか否かの判断においては」に、七、八行目(41頁3段29行目)の「「明白かつ現在の危険」の基準」を「「明白かつ現在の危険の存する場合」や「他に選び得る方法がない場合」等の厳格な基準」に改め、九行目(41頁3段32行目)の末尾に「この点は、右制限が行政規則に基づくものであるとしても、何ら異なるところはない。」を加える。
4 同一一枚目裏一一行目(41頁4段3行目)の「主張しているが」の次に「、右のとおり、控訴人らの権利自由の制限が厳格な基準で判断されるべきであり、他方、右のようなネームプレート着用の目的がいずれも経済的活動の遂行に関する事柄である点も考えれば」を加え、末行(41頁4段6行目)の「着用なしには図れない」を「着用なしには図れず、しかも、それなしには被控訴人の経済活動の混乱を来し、被控訴人に求められている社会的使命を果たし得ない」に、一二枚目表一行目(41頁4段7行目)の「認められなければならない」を「認められなければならず、その主張・立証責任は、被控訴人側にある」に改める。
5 同一二枚目表八行目(41頁4段22行目)の末尾に次のとおり加える。
「ましてや、ネームプレートの着用を義務づけなければ、被控訴人の経済活動に混乱を来し、被控訴人に求められている社会的使命を果たし得ないものとは到底認めることができない。それどころか、ネームプレートの着用によって、着用者の名前が不特定の者に知れ、当該着用者が犯罪の被害者になるという不利益すら無視できない。」
三 証拠関係は、原審及び当審記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおり
理由
一 当裁判所も、控訴人らの本訴請求は、理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は、次に訂正、付加するほか、原判決「事実及び理由」欄の「第三 当裁判所の判断」一ないし六項(原判決一二枚目裏五行目(42頁1段7行目)から一七枚目裏八行目(43頁4段15行目)まで)説示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一二枚目裏一〇、一一行目(42頁1段17行目)の「職員の職務に対する責任と自覚」を「職員に職務に対する責任と自覚を持たせ」に、一一行目(42頁1段19行目)の「また職場の秩序の維持を図る」を「事業の円滑な運営を図る」に改め、一三枚目表五行目(42頁1段31行目)の「(証拠略)」の次に「、(証拠略)」を、六行目(42頁1段32行目)の「原告岸本祐治本人」の次に「、控訴人松田正志本人」を加え、末行(42頁2段12行目)の「示すにすぎず」の次に次のとおり加える。
「、また、一般的にも、労使間の厳しい対立が存する問題について、常に人権侵害が伴い、あるいは、当局側において、人権侵害を意図しているものとはいえないのであり」
2 同一三枚目裏六行目(42頁2段23行目)の「人格の象徴であるから」から一一行目(42頁3段2行目)の末尾までを次のとおり改める。
「人格の象徴であり、また、場合によっては、氏名の表示が経済的な利害に関係することもあり得るから、個人が自己の氏名を冒用されたり、誤って表示されたりして経済的、精神的損害を被った場合には、いわゆる氏名権の侵害として不法行為の成立する余地があるというべきである。もっとも、本件の場合には、個人が自己の誤りのない氏名を自ら表示するということの是非が問われているのであって、氏名の冒用や誤った表示がされる場合とは異なり、後記のプライバシー保護との関連の問題は別として、「したくないことは不当に強制されない」という一般的な行動の自由以上に、氏名権として独自の保護に値する要素があるとはいい難く、結局、かかる行動の自由が不当に侵害されるかどうかという観点から考察すれば足りるものというべきである。そして、公共性の強さはともかくとしても、一般に、民間会社の従業員であれ、公務員であれ、職務上の指揮命令関係に服する場合には、もともと多岐にわたる法令ないし就業規則やこれを根拠とする具体的な職務命令に従わざるを得ず、その限りにおいて、職務中において本来の行動の自由が大きく制約を受けることは性質上やむを得ないものというべく、加えて、具体的な職務命令の内容については、事業の運営が基本的に使用者側にゆだねられていることとの関連において、相当の裁量性が存することも無視することができない。してみると、かかる職務中における職務命令による行動の自由の制限が不法行為を構成するのは、その制限の目的、必要性、態様、個人に対する影響等の諸要素を総合勘案した場合に、当該行動の自由の制限が社会通念上も許容し難いほどに著しく合理性を欠く場合に限られるというべきである。かかる観点から、以下、右の各要素ごとに、本件の場合について検討する。」
3 同一四枚目裏末行(42頁4段14行目)の「要求される」を「要求され、また、正確で質の高い事業の運営を求められる」に、一五枚目表二行目(42頁4段18行目)の「明らかである」を「明らかであり、それが最良の方法かどうかはともかくとしても、ネームプレート着用の方法により前示の目的を達成しようとする事業の運営方針を不合理なものということはできない」に改め、七行目(42頁4段28行目)の「質問しやすい等の」の次に「メリットのある」を加える。
4 同一五枚目裏八行目(43頁1段19行目)の「勤務中においては」の次に「、原則として」を加え、一六枚目表一行目(43頁1段28行目)の次に、行を改めて次のとおり加える。
「なお、前示のとおり、ネームプレートの着用が職員相互間の対内的な効果をも念頭に置くものであり、かつ、そのような方針が不合理とはいえない以上、対外的に利用者と接する機会のある職員に限らず、全職員にネームプレートの着用を義務づけることもまた、不合理な態様ということはできない。」
5 同一六枚目表一一行目(42頁2段14行目)の「何らの不利益の意識なく」を「格別の違和感を感じることなく」に改め、同枚目裏三行目(43頁2段22行目)の次に、行を改めて次のとおり加える。
「なお、控訴人らは、本件ネームプレート着用によってもたらされる不利益、特に精神的不利益の程度については、一般的な受け止め方いかんだけで判断すべきではなく、その対象者ごとに個別的に検討されるべき旨をも主張する。確かに、前示のような当局側と全逓との従前のネームプレート着用をめぐる労使紛争の経過に照らしても、控訴人らは、長年にわたり、ネームプレート着用の是非を重要な労使間の問題として意識してきたものと推認され、したがって、控訴人らとしては、その言わば延長線上に本件着用義務づけの問題があると位置づけ、着用を義務づけられることが従来の自己の生き方や在り方にも深くかかわる事柄であると考えていること自体は、理解できなくはない。しかし、前示のとおり、客観的には、通常の行動の自由を超えて、控訴人らについてのみ、特別に、氏名権ないしこれに準ずる独自の保護するに値する権利自由が存するとはいい難い以上、控訴人らが本件の問題によって、個別的には他の職員よりも大きな精神的な負担や苦痛を感ずるからといって、そのことを理由として、本件ネームプレート着用の義務づけ等についての違法性の判断が左右されるものではないというべきである。」
6 同一六枚目裏五行目(43頁2段26行目)の「義務付ける」から六行目(43頁2段28行目)の末尾までを「義務づけ、これに反した者に対し、指導、警告等を経て訓告処分をもって臨むことは、社会通念上許容し難いほどに著しく合理性を欠く違法な行為とは到底いうことができない。」に改め、一七枚目表八行目(43頁4段15行目)の次に、行を改めて次のとおり加える。
「もっとも、一般的には、氏名の表示がある行動と関連づけられるために、その行動自体にプライバシーの要素がある場合には、氏名を表示させられると、結局プライバシーの侵害につながるということはあり得る。例えば、町中を歩いている時に氏名を表示すれば、その前後を含めた行動内容のプライバシーにかかわることになるから、原則として、他人に氏名を表示する義務はないといえる。しかし、本件では、飽くまでも、職務との関連において自己の氏名を表示することが義務づけられているにとどまり、私的な行動との関連においてまで同様の表示が義務づけられているわけでないことは、前示のとおりである。また、少なくとも、前示のとおり、勤務中、氏名だけを表示するという態様にとどまる限り、職務上氏名を表示することにより、結果として、当該職員の私的な行動にまでその影響が及ぶということも想定し難い。したがって、本件においては、氏名の表示によって侵害されるべき個人的なプライバシーは、やはり存在しないといわざるを得ない。
なお、まれなことではあるが、ある職員の氏名がネームプレートの表示によって部外者に知れ、これを切っ掛けとして、当該職員が犯罪に巻き込まれるという事態が全くないとはいえない(このような事象が当然にプライバシー侵害の問題といえるかどうか疑問であるが、ネームプレートの表示による悪影響の問題として、付言することとする。)。しかし、この場合においても、氏名を知られただけで直ちに被害が生ずるわけではなく、これを利用した部外者の他の行動等があいまって被害の結果に至るものであるから、別途、当局側の安全管理や情報管理上の責任の問題が生ずるのは格別、まれにかかる事態が生じ得ることから、直ちに、ネームプレートの表示に部外者との関係で危険が内在するものということはできない。」
7 同一七枚目裏五行目(43頁4段10行目)の次に、行を改めて次のとおり加える。
「なお、前記三3でも言及したとおり、控訴人らとしては、本件ネームプレート着用の義務づけが自らの生き方、在り方に深くかかわる問題であると意識していることを一概に否定するものではないが、一般に、当該国民の考え方や生き方と衝突する国家行為がすべて思想・良心の自由の侵害の問題を生ずると解するのは相当でなく、思想・良心の自由の侵害が問題となるのは、少なくとも、国民が外部的に強制され、又は禁止される行動から、客観的に一定の思想(の強制)が推認され、又は、その行動に一定の社会的な価値観が伴うと解される場合に限られるというべきである。ところが、本件で問題とされるネームプレートによる氏名の表示という行動は、客観的には、本来一定の思想や価値観との関連性のない、言わばニュートラルな性格なものといわざるを得ないから、たとえ、控訴人らに右のような主観的な事情が存するとしても、これをもって、控訴人らの思想・良心の自由が侵害される事態が生じるものと評価することはできない。」
二 よって、原判決中控訴人らに関する部分は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安達敬 裁判官 畑中英明 裁判官 若林辰繁)